土地で生まれたもの
麺
320件
主なジャンル
ジャンルを分けていない料理52
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- 鯛そうめんTai Somenタイの頭や中骨を煮た「あら炊き」の煮汁でそうめんを煮て食べる祝い料理。そうめんを使うのは特産地・島原の食文化の影響とされる。山都町馬見原では鯛を丸ごと姿煮にする「鯛めん」として伝わるという。
- あんかけスパゲッティAnkake Supagetti1961年、名古屋市東区に開業した「そーれ」が発祥とされる。当時スパゲッティもミートソースもまだ馴染みの薄かった名古屋の舌に合わせ、具を漉してこしょうを効かせ、麺に絡むよう粘度をつけたソースを考案。麺は2.2mmの極太麺を使う。
- かっけKakkeそば粉を薄くのばして三角形に切り、大根や豆腐とだしで煮てにんにく味噌をつけて食べる。南部藩がそば切りを禁じたため、切れ端を三角に整えて食べたのが始まりと伝わる南部地方の料理。
- 小豆ほうとうAzuki Hoto太めに切ったほうとう麺を、餅の代わりに小豆の汁粉に入れて煮る山梨の行事食。北杜市須玉町若神子の三輪神社の夏祭りは「ほうとう祭り」と呼ばれるほどで、赤い小豆の色が厄除けになるとされる。
- 手延べ素麺のばち汁Bachi Jiru浅口市鴨方町で、手延べそうめんをつくる際に端に出る「ばち」を大根や人参と煮た汁物。三味線の撥に形が似ることが名の由来とされ、そうめんよりコシが強く小さな子どもにも食べやすいという。
- 播州手延べそうめんBanshu Tenobe Somen太子町の斑鳩寺に伝わる文書には応永25年(1418年)の条に「サウメン」の記述があり、兵庫県内で最も古いそうめんの記録とされる。江戸時代の安永年間には龍野藩の許可業種として奨励され、播州平野の小麦・揖保川の水・赤穂の塩が産地としての土台になった。
- 別府冷麺Beppu Reimen昭和25年(1950年)頃、旧満州から引き揚げてきた料理人が別府で冷麺を作り始めたのが広まりのきっかけとされる。同年創業の「元祖アリラン」がその代表格とされ、和風の魚介だしにそば粉や小麦粉、でんぷんを使った麺を合わせるのが土地の型になった。
- 鯛そうめんTai Somenタイを一尾丸ごと煮て、ゆでた素麺と大皿に盛り、煮汁をかけ汁にして食べる。素麺は七夕の織女に、タイは縁起物にちなむとされ、婚礼や還暦など祝いの席で親族に振る舞われてきたという。
- 半田そうめんHanda Somen藩政時代、川船の船頭たちが三輪(奈良県)から淡路・鳴門を経て半田にそうめんの技法を伝えたとされる。自分たちで手早く作れるよう手間を省いたことが、一般的なそうめんより太くコシの強い麺になった理由と伝わる。剣山系から吹き下ろす乾いた風と吉野川の澄んだ水が、麺作りに適した環境を作っている。
- 鮑腸Hocho小麦粉を練って2m以上に手延べしたうどん状の麺を、しいたけやいりこの出汁に薬味を効かせたつけ汁でいただく大分市戸次地区の麺料理。武将・大友宗麟がアワビの腸に見立てたのが名の由来と伝わる。
- ラーメンRamen気温の低い北海道で独自に発展したラーメンの総称。札幌は味噌、函館は塩、旭川は醤油とスープを覆う香味油というように地域差があり、それぞれの風土に合わせて工夫が重ねられてきたと伝わる。
- ほうとうHoto中国の麺料理「餺飩(はくたく)」が奈良・平安期に伝わったとする説が有力で、その音が転じて「ほうとう」になったとされる。戦国期には武田信玄が陣中食として重用し「武田汁」とも呼ばれたと伝わるが、発生地や時期を断定できる定説はない。生麺と季節の野菜を味噌仕立てで煮込む。
- 盛岡じゃじゃ麺Morioka Jajamen中国東北部の炸醤麺を参考に、屋台から始めた「白龍」の高階貫勝が作り上げたのが始まりとされる。茹でた麺に肉味噌・きゅうり・生姜・ねぎをのせ、混ぜて食べる。食べ終わりに卵を割り入れて出汁を注ぐ「ちーたんたん」も土地の食べ方として定着している。
- 地獄炊き(五島うどん・島原そうめん)Jigokudaki乾麺の五島うどんを鉄鍋でぐつぐつと茹で、トビウオでとった「あごだし」につけて食べる食べ方。遣唐使が製法を伝えたとの説がある五島の特産麺で、島原そうめんも同様に薬味でゆでたてを楽しむという。
- じゅうねん冷やだれJunen Hiyadareすりつぶして煎ったじゅうねん(えごま)に味噌、砂糖、醤油を合わせ水でのばしたたれに、冷たいうどんをつけて食べる鮫川村の夏の料理。ねぎやみょうが、紫蘇の葉など香り豊かな薬味を添えることが多いという。
- なすそうめんNasu Somen油で炒めたなすを油揚げや唐辛子とともにいりこ出汁で煮て、ゆでたそうめんを加える夏の家庭料理。小豆島特産のそうめんとなすを合わせやすいことから、手軽な主食として広く浸透しているという。
- 冷やしそうめんKanzaki Somen神埼特産の手延べそうめんを氷水でしめ、コシとつるりとした喉ごしを楽しむ。約380年前、諸国を巡っていた僧が病に倒れた際、看病した行商人に製法を伝えたのが始まりと伝わる。
- 瓦そばKawara Soba明治10年(1877年)の西南戦争で薩軍の兵士が瓦で野草や肉を焼いて食べたという言い伝えを、川棚温泉の旅館経営者が昭和37年(1962年)頃にヒントとして料理化した。熱した瓦の上に茶そば・牛肉・錦糸卵を彩りよく盛り付け、薬味と特製だれで食べる。
- けんちゃんKenchan大根、里芋、人参などの根菜と豆腐を油揚げやこんにゃくと共に煮る国東市の汁物。鎌倉・建長寺の精進料理「建長汁」が各地に伝わり訛ったものとされ、汁を少なめにすれば煮物としても食べられる。
- 呉冷麺Kure Reimen戦後、呉市中通の屋台から始まった「珍来軒」が、看板だったワンタン麺に代わる一杯として1955年に考案。中華そばの麺をそのまま使うと「冷やし中華」になってしまうため、コシのある特注の平打ち麺を作り、甘みと辛みを効かせ酸味を抑えたスープに仕立てた。
- 三輪素麺Miwa Somen大神神社の社伝によれば、宮司の子が三輪の地と三輪山の清流が小麦栽培に適することを見出し、小麦粉から素麺を作らせたのが始まりとされる。江戸時代、伊勢参りの旅人によって播州・小豆島・島原へと製法が広まったと伝わる。
- 宮古そばMiyako Soba宮古島や石垣島など離島で作られる麺は、手もみの工程を省くため沖縄そばよりも細くて縮れの少ない平麺になる。かつては具を麺の下に隠して盛り付けるのが特徴で、高い年貢の下で「具も入れられないほど困窮している」と見せるためだったとする説がある。
- 盛岡冷麺Morioka Reimen昭和29年(1954年)、朝鮮半島北部・咸興出身の青木輝人が盛岡で「食道園」を開き、あっさりした平壌冷麺に故郷咸興の辛みのある味を合わせて作ったのが始まり。当初の評判は芳しくなかったが、客の声を集めて改良を重ね、でんぷんと小麦粉の麺に落ち着いた。
- 長崎ちゃんぽんNagasaki Champon1899年(明治32年)、福建省出身の陳平順が四海樓を創業する中で、留学生や華僑向けに安く栄養価の高い麺料理として考案した。商標登録をせずに広めたことが、長崎の飲食店に同種の麺料理が広がる土台になった。
- 沖縄そばOkinawa Soba明治中期、那覇で唐人が営むそば屋から始まり、比嘉某の店が具に卵焼きを添えるなど工夫を重ねて広まった。かつては「がじゅまる」等を燃やした木灰を麺のつなぎに使っていたが、戦後に県民食として定着し、「沖縄そば」の名称は1972年頃に定着したとされる。
- スパゲッティ ナポリタンSupagetti Naporitan終戦後、GHQに接収されたホテルニューグランドでは、進駐軍がケチャップで和えた茹でスパゲッティを食べていた。接収解除後に二代目総料理長となった入江茂忠が、玉ねぎとにんにくをキャラメリゼしトマトを加えたソースを考案し、ホテル仕様の一皿として完成させた。
- なすそうめんNasu Somen出汁で煮たなすに、ゆでたそうめんを加えてひと煮立ちさせる、麺というより煮物に近い夏の惣菜。かつてそうめんの産地だった土地の名残ともいわれ、食べ残った麺を活かす知恵とされる。
- ねじNeji秩父郡小鹿野町が発祥とされる、螺旋状にねじった短いうどんを小豆あんと和えた菓子。ゆるいあんを使う場合は「小豆ぼうとう」と呼ぶ。餅が手に入らない頃の代替食との説もある。
- にゅうめんNyumen三輪素麺の産地、桜井市三輪に伝わる温かい素麺料理。大神神社での祈願に由来すると伝わる素麺づくりの技を受け継ぎ、夏は冷やし素麺、冬はにゅうめんとして一年を通して食べられている。
- 小浜ちゃんぽんObama Champonかつて長崎市の茂木港と雲仙市小浜港は航路で結ばれ、長崎から温泉目当てに訪れる人々の往来が続いた。その交流の中でちゃんぽんの食文化が自然に小浜へ根付いたのがルーツとされ、今では温泉街の約10店舗で提供される。
- おっきりこみOkkirikomi養蚕と小麦の里として知られる群馬で育った粉もの料理。幅広の生麺を茹でずにそのまま汁に入れて野菜と一緒に煮込むため、溶け出した打ち粉が汁にとろみをつける。農林水産省の「農山漁村の郷土料理百選」にも選ばれている。
- おざらOzaraほうとうより細く切った麺を一度ゆでて冷水でしめ、温かい醤油だしにつけて食べる山梨の夏の麺。盆地特有の猛暑をしのぐ一品として、ほうとう専門店でも夏場に代わって出されると伝わる。
- ろくべえ/六兵衛Rokubeeさつまいもの粉末を山芋でつないでうどん状にし、すまし汁で食べる麺料理。1792年の眉山崩壊による飢饉の際、深江村の六兵衛という人が保存食のさつまいも粉を使って考案したのが始まりと伝わる。
- 鯖そうめんSaba Somen焼きサバを甘辛く煮込み、その煮汁でそうめんを味付ける湖北地域の料理。若狭から鯖街道を経て届いたサバを、田植え時期に嫁ぎ先へ贈る「五月見舞い」の風習とも結びついて伝わってきたという。
- 皿うどんSara Udonちゃんぽんと同じ具材を使い、太麺を汁がなくなるまで炒めるか、細く揚げた麺に五目あんかけをかける麺料理。1899年、ちゃんぽんを考案した中華料理店の店主が汁なしのちゃんぽんとしてつくったのが始まりとされる。
- 島原手延そうめんShimabara Tenobe Somen寛永14年(1637年)の島原の乱で人口が激減した後、幕府の移民政策で移り住んだ人々によってそうめん作りが伝えられたとされる。出身地は小豆島説・三輪説など諸説あり断定できる史料はまだ見つかっていないが、文化年間(1804〜1818年頃)に産地としての形が整った。
- 白えび素干だしのそうめんShiroebi Boshi Dashi no Somenシロエビを素干しにしてとる出汁で、そうめんを味わう夏の一皿。生よりも長期保存できる素干しにすることで旬を過ぎても使えるとされ、砺波の大門素麺と合わせることも多い涼を呼ぶ料理。
- 小豆島そうめんShodoshima Somen約400年前、小豆島池田村の人が三輪(奈良県)に立ち寄った際にそうめんの製法を学び持ち帰ったのが始まりとされる。冬の農閑期にでき、家族の労働だけで営めることが導入の動機になったと伝わる。海運の要衝だった島には讃岐の小麦や瀬戸内の塩が集まり、ごま油の産地でもあったことが適地の条件となった。
- そばかっけSoba Kakkeそば粉を薄くのばして三角形に切り、大根や豆腐のだしで軽く煮てにんにく味噌をつけて食べる。南部藩がそば切りを禁じていた時代からの伝承料理とされ、切れ端「かけら」が名の由来という説がある。
- ソーキそばSoki Soba沖縄生麺協同組合の記録では1975年、名護に「ソーキそば」が登場したとされる。骨付き肉を柔らかく甘辛く煮込んだ「ソーキ」を沖縄そばにのせるという組み合わせは、それまでのそばの概念を大きく広げるものだった。
- ソーミンタシャーSoomin Tashaaゆでたそうめんを強火で手早く炒め、塩と醤油だけでシンプルに仕上げる沖縄の家庭料理。豆腐を使わないため「そうめんチャンプルー」と呼ぶのは実は誤りとされ、台風で外出できない日の食事としても重宝されてきた。
- スパカツSupakatsu昭和34年(1959年)創業の洋食店「泉屋」が発祥とされる。当時まだ洋食に馴染みのなかった釧路で、冷涼な気候でも熱々のまま食べてもらえるよう、スパゲッティを鉄皿にのせて提供する工夫からスパカツが生まれた。
- 酢味噌そうめんSumiso Somen味噌と酢、砂糖でつくる酢味噌を、ゆでたそうめんにかけて食べる。豆味噌文化が根づく愛知で、酢が加わることでさっぱりと食べられる夏の一皿とされ、半田市周辺の粕酢の伝統とも重なると伝わる。
- 鯛麺Tai Men塩焼きしたタイをだし汁で煮て、その出汁でゆがいたうどんの上に丸ごとのせる姫島の祝い料理。タイがつがいで寄り添う魚であることから婚礼の席の縁起物とされ、「鯛麺」と「対面」の語呂も重ねられていると伝わる。
- 鯛そうめんTai Somen塩でしめたタイを一匹丸ごと醤油と砂糖、酒で煮崩れないように煮込み、ゆでたそうめんとともに大皿に盛る婚礼料理。座卓ごと揺すりながら運ぶ讃岐伊勢音頭の演出とともに供されてきたという。
- 鯛めん/鯛そうめんTaimenゆでたそうめんに、しょうゆで薄く煮た鯛の姿煮を乗せる祝いの膳。鯛は「めでたい」、そうめんは「長く続く」に通じるとされ、棟上げや結婚式など瀬戸内の祝い事に欠かせないと伝わる。
- 太平燕Taipiien春雨を主役に、豚肉やエビ、野菜を炒めて煮込んだ中華風スープに、揚げたゆで卵をのせた麺料理。中国福建省の祝い料理がルーツとされ、明治後期に長崎経由で熊本に伝わった華僑の味という。
- 戸畑ちゃんぽんTobata Champon戸畑区がかつて日本有数の遠洋漁業基地だった頃、保存の利く「蒸し麺」が地元の製麺所で作られるようになった。この麺を使ってちゃんぽんを出す店が現れたことで、長崎ちゃんぽんとは異なる戸畑独自の味が育った。
- 島そうめんShima Somen出羽島でとれるれんこ鯛を甘辛く煮付け、その煮汁をめんつゆ代わりにそうめんを食べる牟岐町の一品。祭りや婚礼、宴会に欠かせない料理とされ、煮汁まで無駄にしない工夫から生まれたという。
- つけナポリタンTsuke Naporitan2008年9月、テレビ番組のまちおこし企画と富士市吉原商店街の共同開発で誕生した。トマトベースのスープに鶏ガラなどを合わせたダブルスープに、太めの麺をつけ麺のようにひたして食べるのが特徴で、その後吉原地区のまちづくり組織が普及に取り組んだ。
- 八重山そばYaeyama Soba豚骨とかつお節でとる、ほんのり甘みのあるスープに、断面が丸い麺を合わせるのが特徴。1972年に丸麺が登場して以降、丸麺であることが八重山そばの目印として広く知られるようになった。醤油で煮た豚の赤身肉と細切りのかまぼこを載せる盛り付けも定番。
- 八幡浜ちゃんぽんYawatahama Champon四国西端の玄関口である八幡浜港は、対岸の大分・別府や臼杵と古くから海路で結ばれていた。具だくさんの麺料理という九州の「ちゃんぽん」の考え方がこの航路を通じて伝わり、地元では豚骨でなく鶏ガラと魚介の出汁を用い、じゃこ天を具に加えて独自に発展したとされる。