麺
ほうとう
Hoto
中国の麺料理「餺飩(はくたく)」が奈良・平安期に伝わったとする説が有力で、その音が転じて「ほうとう」になったとされる。戦国期には武田信玄が陣中食として重用し「武田汁」とも呼ばれたと伝わるが、発生地や時期を断定できる定説はない。生麺と季節の野菜を味噌仕立てで煮込む。
- 発祥: 山梨県
- 東京から西へ約110km
系譜
何でできているか
幅の広い平たい生麺と、かぼちゃを中心にした季節の根菜、白菜や油揚げ、味噌仕立ての汁で成り立つ一皿。麺は下茹でをせずにそのまま汁に入れるため、溶け出した打ち粉が汁にとろみを加え、味噌の甘みとひとつに溶け合っていく。かぼちゃはやわらかく煮くずれて汁全体に甘みを移し、山あいの冬の食卓らしい、とろりとこっくりした一杯になる。すすると具材と汁が分かれず、まとまって喉を通っていく。
どう作るのか
生麺と根菜、味噌を、下茹でせず煮立った鍋にそのまま入れて一気に仕上げる、一つの鍋で完結する調理法が特徴。かぼちゃは時間をかけてやわらかく煮くずれ、皮ごと種ごと汁に溶け込んでいく。麺から出た打ち粉が汁全体にとろみを与え、具と汁が分かれずひとつのとろみになったところで火を止める。土鍋のまま食卓に運ばれ、取り分けている間も冷めにくいまま食べ進められる。
なぜこの形になったのか
中国の麺料理「餺飩(はくたく)」が奈良・平安期に伝わったとする説が有力とされ、戦国期には武田信玄が陣中食として重用し「武田汁」と呼ばれたとも伝わるが、発生地や時期を断定できる定説はない。米より小麦や雑穀が育ちやすい寒冷な盆地で、野菜も麺も一つの鍋で煮込み、冷める間もなく食べきる料理として今の形が定まったと読める。土鍋のまま出す提供の仕方も、この寒さへの答えの一つといえる。
食べに行く前に
同じ系統の料理
この土地の食材と料理
兄弟
派生
対比
- 瓦そば明治10年(1877年)の西南戦争で薩軍の兵士が瓦で野草や肉を焼いて食べたという言い伝えを、川棚温泉の旅館経営者が昭和37年(1962年)頃にヒントとして料理化した。熱した瓦の上に茶そば・牛肉・錦糸卵を彩りよく盛り付け、薬味と特製だれで食べる。
- たなばたほうとう練った小麦粉を太い麺に切って茹で、小豆あんやきなこ、ごまをまぶす松本地域の七夕料理。月遅れの8月7日、七夕人形とともに供えられ、汁物として食べる一般的なほうとうとは別の甘い行事菓子だという。
- 煮ぼうとう埼玉県深谷市に伝わる、幅広く平たい生麺を茹でずにそのまま汁に入れて煮込むうどんという。溶け出した打ち粉が汁にとろみをつけ、山梨のほうとうとは違う醤油仕立てに仕上がるとされる。
同じ山梨県
- あけぼの大豆の枝豆通常の1.6倍という大粒の「あけぼの大豆」を塩ゆでにする身延町曙地域の枝豆。明治から続く在来種だが機械化になじまず生産者の高齢化で希少となり、「幻の大豆」とも呼ばれてきたと伝わる。
- 甘納豆のお赤飯ささげや小豆を使わず、食紅で赤く色づけたもち米に甘納豆を混ぜ込む山梨の赤飯。ごま塩をかけると甘じょっぱく、祝いの席に欠かせないとされる。同様の甘い赤飯は遠く離れた北海道や東北の一部にもあると伝わる。
- あんびんさつまいも粉と小麦粉を熱湯でこね、あんを包んで叩いて平らにし蒸す峡南地域の菓子。あんを叩き入れる仕草が名前の由来とされ、廃校を機に地元が復活させた市川三郷町六郷の伝統食と伝わる。
- あわびの煮貝駿河湾でとれたアワビを醤油に漬けて樽で運び、馬の体温に揺られるうちに味がしみ込んだという甲州の名産。薄切りにして肝と盛り合わせ、しそやきゅうりを添えて食べると伝わる、海のない山梨に残る海の幸。
- 平打ちタンメン山梨県甲府市発祥とされる、幅広の平打ち麺を使った塩味のタンメン。もやしや豚肉、白菜などの野菜がたっぷりのり、フェットチーネのような麺の食感が持ち味とされる。県内の複数の店に受け継がれている。