麺
盛岡冷麺
Morioka Reimen
昭和29年(1954年)、朝鮮半島北部・咸興出身の青木輝人が盛岡で「食道園」を開き、あっさりした平壌冷麺に故郷咸興の辛みのある味を合わせて作ったのが始まり。当初の評判は芳しくなかったが、客の声を集めて改良を重ね、でんぷんと小麦粉の麺に落ち着いた。
- 発祥: 岩手県盛岡市
- 東京から北へ約460km
岩手県盛岡市
系譜
何でできているか
じゃがいもでんぷんと小麦粉を練った透き通るような麺、牛骨だしの濃厚なスープ、白菜ではなく大根のキムチ、季節の果物(すいかやりんごなど)でできている一皿。麺は他の冷麺と比べても際立って強いコシを持ち、噛み切るのに力がいるほどの弾力がある。すすらず噛んで味わう麺と言われ、箸で持ち上げてもぷつりとは切れない。冷たいスープと辛いキムチ、甘い果物が一つの丼で同居する。
どう作るのか
でんぷんの配合を高めた生地を練り上げ、極めて強いコシを出した麺を茹でる。牛骨を長時間煮出したスープを冷やして供し、大根キムチの辛みと季節の果物の甘みを一皿の中で対比させながら味わうのが定番の食べ方になっている。辛さは店ごとに調整できることも多く、食べ進めるうちに辛みと甘みの印象が入れ替わっていく、飽きの来ない構成になっている。
なぜこの形になったのか
昭和29年(1954年)、咸興出身の青木輝人が盛岡で「食道園」を開き、あっさりした平壌冷麺に故郷咸興の辛みのある味を合わせて作ったのが始まり。当初の評判は芳しくなかったが、内陸の盆地で夏冬の寒暖差が大きい盛岡の客の声を集めて改良を重ねた経緯が、でんぷんと小麦粉を配合した独自の麺という、この地だけの形を作り上げた。二つの故郷の味を一つに束ねた冷麺といえる。
食べに行く前に
同じ系統の料理
この土地の食材と料理
兄弟
同じ岩手県
- 小豆ばっとう小麦粉を寝かせて幅広のうどん状に切り、ざらめで甘く煮た小豆汁に合わせる。建前や庭じまいの祝いに三陸沿岸地域で作られ、お盆の七日目に7回食べると無病息災とする風習も残る。
- へっちょこだんごたかきび粉やもちあわ粉など雑穀の団子の中央をへこませ、甘い小豆汁で煮る。「うきうきだんご」とも呼ばれ、収穫後の労をねぎらう「庭じまい」の行事食として、米が育ちにくい県北で作られてきた。
- ひなまんじゅう米粉の生地に食紅で色をつけ小豆あんを包み、木型や竹串で花や桃、うさぎなど30種以上の形に整える。花巻市大迫町のひな人形めぐりの風習とともに伝わり、桃の節句に「きりせんしょ」と共に供えられる。
- 氷頭なます鮭の頭の軟骨部分「氷頭」を薄くスライスし、塩をして酢でしめてから大根とにんじんのなますと和える。一尾からわずかしか取れない珍味とされ、宮古湾に鮭が遡上する三陸沿岸で正月料理として伝わる。
- 伝統餅料理あんこやずんだ、くるみ、納豆、雑煮など約300通りの食べ方がある餅料理の総称。仙台藩の命で月2回餅を搗いた風習が根付き、一関では年60回以上餅を食べる「餅暦」と、儀礼作法に則る「餅本膳」が今も残る。
- いもの子汁秋に旬を迎えるさといもを鶏肉や豆腐、大根、にんじんとともに醤油味で煮込む。さといも栽培に適した北上川流域の秋の味覚で、川岸に集まって鍋を囲む「芋煮会」が今も北上市二子地区で受け継がれている。