麺
島原手延そうめん
Shimabara Tenobe Somen
寛永14年(1637年)の島原の乱で人口が激減した後、幕府の移民政策で移り住んだ人々によってそうめん作りが伝えられたとされる。出身地は小豆島説・三輪説など諸説あり断定できる史料はまだ見つかっていないが、文化年間(1804〜1818年頃)に産地としての形が整った。
- 発祥: 長崎県南島原市
- 東京から西へ約930km
長崎県南島原市
系譜
島原手延そうめん
何でできているか
細く伸ばされた麺は滑らかな喉ごしとしっかりしたコシを併せ持つ。小麦粉と塩水、食用油だけで作られたシンプルな麺で、噛むとほのかな塩気のあとに小麦本来の風味が広がっていく。乾麺でありながら茹で伸びしにくいのも持ち味のひとつで、湯を吸っても少しふくらむ程度でコシの芯までは崩れない。細さの割に強いコシを保つのも特徴のひとつ。
どう作るのか
生地を何度もらせん状に縒り合わせて熟成させる「縒りかけ熟成法」を用い、丸2日かけてじっくりと延ばしていく。手間と時間のかかるこの工程が、コシと歯切れのよさ、なめらかな口当たりを生むとされる。気温や湿度に合わせて力加減を調整するのも職人の勘に頼る部分が大きく、力の入れ具合ひとつで麺の太さが変わってしまう。
なぜこの形になったのか
1637年の島原の乱で人口が激減した後、幕府の移民政策で移り住んだ人々がそうめん作りを伝えたとされる。出身地は小豆島説・三輪説など諸説あり定めがたいが、移住者の暮らしを支える産業としてこの地に根づいた点は共通している。土地を離れて移り住んだという出発点が、そうめん作りという生業の背景にあり、その事情ゆえに起源をひとつに絞れないのも自然な成り行きといえる。
食べに行く前に
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この土地の食材と料理
使う
同じ長崎県
- アルマド食紅で色付けしたゆで卵をすり身で包んで蒸した練り物で、切り口がピンク色に縁どられるのが特徴。平戸の名物とされ、佐世保では「アリマド」、長崎では「竜眼」と呼ばれる同種の練り物があるという。
- 五島うどん長崎県新上五島町で作られる手延べうどん。遣唐使が伝えた製法が起源とされ、島の椿油を使って延ばすことでコシとつるりとした喉ごしが生まれる。
- 鼻はじききゅうりやにんじん、厚揚げ、エビなどを短冊状に切って皿に放射状に並べ、辛子酢みそをつけて食べる料理。諫早地区に伝わり、辛子が鼻をツンとはじくことが名の由来とされ、法事の精進料理とされてきたという。
- ハトシ食パンでエビとイカのすり身を挟んで揚げた長崎の郷土料理。明治時代に中国から伝わったとされ、卓袱料理の一皿から市中で親しまれる郷土食に育っていったと伝わる、開港地らしい一品である。
- ヒカド魚や鶏肉と大根、にんじんなどの野菜を細かく切って煮込み、すりおろしたさつまいもでとろみをつけた料理。長崎に滞在したポルトガル人の肉のシチューが起源とされ、名はポルトガル語の「刻む」に由来するという。
- ひきとおし自宅で飼っていた鶏をさばいてつくる壱岐の鍋料理で、コクの強い壱州豆腐とかために茹でたそうめんを加えるのが定番という。来客をもてなす奥座敷の鍋がはじまりとされ、「引き通し」が名の由来とされる。