麺 ── そば
深大寺そば
Jindaiji Soba
東京都調布市の深大寺で、小作人が寺に納めたそば粉を寺が来客にふるまったのが始まりとされる。江戸時代には将軍家にも献上された。
- 発祥: 東京都調布市深大寺
東京都調布市深大寺
何でできているか
深大寺北側の台地は水はけがよく、江戸時代からそば作りに向いた土地として知られてきた。境内に湧く清らかな水を使って打つそばは香りが立ちやすいとされ、寺の周りに広がる武蔵野の緑と湧水が、そのままそばの味を支える条件になっている。今もそば店の多くが自家製粉にこだわり、台地の縁から今も湧く清水が、そば畑や製粉に利用されてきたと伝わる。そばの香りを支える、目には見えない土地の条件といえる。
どう作るのか
かつては小作人がそば粉を年貢の代わりに寺へ納め、寺がそれを来客へのもてなしとして振る舞っていた。今も門前のそば店が続き、参拝や散策のついでに立ち寄って一枚手繰るという、寺と一体になった食べ方が受け継がれている。小作人が納めた粉が寺を通じて多くの人に振る舞われるという循環が、そばを土地の名物に押し上げたと考えられ、その関係は今も門前の景観に残っている。
なぜこの形になったのか
一説によると、元禄年間に寛永寺の公弁法親王へ深大寺そばを献上したところ大いに賞賛され、将軍家や諸大名にまで広く推奨されたと伝わる。米の育ちにくい台地の産物だったそばが、寺という格式を通じて将軍家の食卓にまで届いた例といえる。格式ある評判が広まったことで、深大寺そばは江戸有数の名物として広く知られるようになった。
食べに行く前に
同じ系統の料理
この土地の食材と料理
対比
- 板そば山形県村山市周辺に伝わる、杉板の箱に山盛りに盛るそば。共同作業の後に振る舞う「そば振る舞い」の風習から、大勢で分け合いやすい盛り付けが広まった。
- 武蔵野うどん水が乏しい武蔵野台地で米の代わりに小麦が栽培され、冠婚葬祭の振る舞いとして根付いたうどん。濃いめのしょうゆだれの肉汁につけて食べる。
- 戸隠そば長野市戸隠の神社周辺で参拝客をもてなす料理として広まったそば。「ぼっち盛り」と呼ばれる、一口分ずつ丸くまとめて並べる独特の盛り付けをする。
- そばそば粉に水とつなぎを加えてこねた麺を、もり・かけで食べる東京のそば文化。「砂場」「更科」「藪」の三系統が江戸そば御三家として知られ、麺の色合いがそれぞれ異なるという。大晦日の年越しそばなど、縁起を担ぐ食べ方も広く根づいている。
同じ東京都
- 油そばスープを張らず、丼の底にためた醤油だれとごま油を麺にからめて食べる。武蔵野地区の店が昭和30年代に売り出したのが始まりと伝わり、酢とラー油を足して味を変えながら食べ進める。
- 味付け海苔板海苔に醤油と砂糖ベースの味付けをして焼き上げた加工品で、明治期に京都行幸の土産として考案されたと伝わる。パリパリとした食感の中で味と香りが一気に広がり、とくに関西でよく使われる海苔の型という。
- 穴子寿司甘辛く煮たあなごをシャリにのせ、煮詰めたツメを塗った江戸前ずしの定番ネタ。栄養豊かな川が流れ込む東京湾で育ったあなごは江戸の食文化を支えた魚のひとつで、ぬめりを取り除く下ごしらえに職人の技が問われるという。
- あんみつ賽の目に切った寒天に、赤えんどう豆や餡、黒蜜をのせた甘味。もとは蜜と豆だけの「みつ豆」に、昭和初期の銀座の甘味処が自家製の餡をのせたのが始まりと伝わり、和菓子と喫茶文化が交わった型とされる。
- 浅草の七味1625年創業と伝わる、浅草・薬研堀に始まる七味唐辛子の元祖とされる店の調合。江戸有数の薬種問屋街だった土地柄から漢方の知識を活かした調合が生まれたとされ、好みに応じたその場調合でも知られる。
- べったら漬け塩で下漬けした大根を米麹と砂糖で漬け込む、江戸のえびす講で売られた浅漬けが起源とされる漬物。麹の自然な甘さが身上で、日本橋の「べったら市」で今も親しまれている。