麺 ── そば
更科系
Sarashina-kei
江戸から続くそば屋の系統の一つ。寛政元年(1789年)、信州出身の初代が江戸麻布永坂町に「信州更科蕎麦所 布屋太兵衛」の看板を掲げたのが始まりとされる。白いさらしなそばと、彩り豊かな変わりそばを看板商品としてきたという。
系譜
更科系
何でできているか
更科系の看板は、そばの実の中心部だけを挽いた白い更科粉で打つ白いそばと、そこへ茶や柚子などを練り込んだ彩り豊かな変わりそばの二本柱とされる。白い生地は色が入りやすく、変わりそばの下地として好都合だったという。藪の香り、砂場の喉ごしに対して、更科は色の白さで独自の立ち位置を築いたと語られ、見た目の対比だけでも三系統の違いが伝わるという。
どう作るのか
そばの実を段階的に挽き分け、もっとも純度の高い中心部の粉だけを取り分けて使う。系統としての技術は、江戸麻布の店から暖簾分けを重ねて広がり、白い粉を安定して挽き出す製粉の技術と、そこに色や香りを添える変わりそばの意匠が受け継がれてきたとされる。白さを保つための粉の管理には、とくに神経を使うといわれる。
なぜこの形になったのか
「更科」の名は、信州出身の初代が領主保科家から「科」の字を許され、信州そばの集散地だった「更級」の音と組み合わせたことに由来すると伝わる。寛政元年に麻布永坂町で開業した店は明治期に皇后や宮家へも出前を届けるほどの評判を得て、各地に暖簾分けの「更科」が広がる礎になったとされる。廃業と再興を経て、今も麻布十番にその名を掲げる店が続いているという。